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≪ 地方から見た震災 ≫※補足

また補足です

この記事は記録として置いときますが、1番上からは外そうかと思っています

もう見られた方で意見なども出尽くしたようなので、通常営業で楽しんでいただければと思いました

この考えが正しいのか、そうでないのかは分かりませんが・・・・・・私自身、このブログは皆さんの「気分転換」になれればいいと思っていますので

真に勝手ですが、よろしくお願いします m(__)m

***

※補足させてください

今回の記事で皆さん一人一人の体験や、報道に関する思いなど色々な思いがあることを実感しました

私もその内の一人です。。。

この記事は4月中は1番上に来るようにしておきます

皆様の意見交換もしくは、胸にある思いを形に出来るように、残せるようにと思いました

コメント欄を開放しますので自由に使ってください

最初、記事に書き足そうかと思いましたが皆さんのコメントを読んでいただく事に変更しました

頑張ってる人に私は「 頑張れ 」とはよう言えません。。。

代わりにこの言葉を贈ります

「 無理しないで休みたい時は休んでね・・・それは悪いことじゃないから・・・ 」


******

マイマイ様のブログでのやり取りで、震災の時に地方にいた私がどう映像を見たかを記事にします

あの日、テレビをつけていなかった私は揺れの後、つけました

画面では、男女のアナウンサーが紙を手に「 地震がありました 」と言い続けてます

女性のアナウンサーが「 お子さんをお持ちの方はしっかりと抱きしめてあげてください 」とか、「 火を止めてお子さんの手をしっかり握って地域の放送を聞いて避難してください 」などと呼びかけてました

男性は「 津波がきます 高台に避難してください 」と乏しい情報を読み上げながら必死に呼びかけてました

私は息子をお迎えとか夕飯の仕度などでパタパタしてて、次にテレビを見たのは6時も過ぎた頃でした


その頃には画面には日本地図がテレビの半分を占め、津波警報の黄色い線が時間が経つにつれ広がり、色も黄色から赤に変わっていき・・・・・・夜には日本中が赤色の線で占められてました。

テレビ局の屋上からの映像や、地震のときの中(テレビ局)の映像が繰り返し流れていました

乏しい情報の中、千葉のコンビナート火災がヘリからの中継でえんえん流れていたり、スタジオでアナウンサーと専門家という人達のやり取りだったり・・・・・・その中でアナウンサーからの「 死亡者、行方不明者 」の数がどんどん増えていくのにこの地震が只事でないと実感し始めてました

放送は途切れることなく続いたようでした

***

次の日も津波の情報や被害状況など、ヘリからの中継や、テレビ局の屋上からの映像や原発のこと、まだまだ情報が10分も経てば変わる状態で目まぐるしく変わってました

そんな中、視聴者からの投稿という映像が流れ始めたのはその日の夜くらいだったでしょうか・・・

高台に避難された方が撮影されたのは、最初はゆっくりと水が家々や道路にきはじめて・・・・・・本当に始まりはゆっくりなのですが、すぐに家の半分にふえ、屋根まで届く頃には家は軒並み流されてました

車も木の葉のように水に押し流されていきます

あっという間にそれまであった町並みが、家が押し流され崩れ、壊れて・・・・・・後には瓦礫しか残りません

撮影されてる方の嘆きの声がそのままで、この様子に「 災害、震災 」という意識が根付いたのでした

***

次の日は、各局ともにさまざまな映像が流れてました

その中で消防団の方が、港で撮りながら「 やばいって! 車に乗れ 」と、仲間と共に車で逃げながらの映像がありました

車が通るなか、口々に「 早くあがれ!(高台に) おおきいから! 早く!早く! 」と、道を歩いてる人達に呼びかけてました

高台からみれば、いま来たであろう道に・・・どんどん、どんどん水が登ってくる様に私は傍で遊んでいた息子を抱きしめてました

実は、息子がテレビからの映像で何かを感じるんでしょうか・・・・・・ちょっと夜泣きとかがあって、DVDなどを見せていたため私自身テレビを見れなかったこともありました

高台から家が瓦礫となり水に沈んで流されていく・・・・・・しかも、1軒じゃなく見える範囲の家々全てが・・・・・・

残るのは鉄筋のビルの骨組みくらいです

市役所のビル(4,5階建て)の屋上に避難した方達はヘリで救出されたのですが、もう、寸でのところで助けられた写真なども見ました(テレビで)

その市役所は屋上も水に飲まれていました


その後は、避難所の様子を伝えるレポートなどと共に、原発の様子が放送を占めていきます・・・屋根が爆発する様子も繰り返し流れてます


こういう感じですが、マイマイ様の役に立てたでしょうか?

それと、これはあくまで私の見たままなので、「もっと早くからこんな放送あったよ 」などがありましたらコメントでお知らせください

その都度、改訂していきます

 
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コメント

☆マイマイ様へ☆

遅い返事で申し訳ないです、マイマイ様 こんにちわーー


>  奇遇でしょうか? 私もそうだったそうです。母が虚弱体質で妊娠中毒症で悪阻が酷くて、6ヶ月くらい目からずっと入院してたそうです。
>  予定日より半月くらい早く生れた私は2600gと小さめで、臍の緒が首にグルグル巻きついていて仮死状態だったそうです。後はすー様と同じで足を掴んで逆さ吊りにされてお尻をパンパンと叩かれてようやくオギャーと泣いたのだとか。

うちの母は子供の頃から体調の変化が激しかったそうですが、いざ!分娩!!!というときに初めて心臓が病気だと産科の先生に言われたそうです(早く気づかないのが天然なウチの母らしいのですがね・・・)

酸素ボンベで吸入されながらも、いきむ時に気絶してしまい丸々3日3晩かかり、廊下で待つ父と祖母(父の母)に「子供を助けるか、お母さんを助けるか」と選択を迫られ祖母が「子供は諦めますから、嫁を助けてくださいと」まるでドラマのような展開だったそうです

結果、2人とも助かりましたが予定日をほぼ1ヶ月遅れていた割りに2700gという小ささでした
いまは横にデカインですけどね(困ったわ・・・(笑))

>  小さい頃の私も虚弱体質で、喘息を患ったり、風邪を引きやすく、何かとよく発熱する子供でした。幼稚園も行ったり休んだりの繰り返しで、おかげであんまり思い出とか無いんですよねー。

私も直ぐに高熱をだす子でした・・・その割りに吐き気などの胃腸系は丈夫な子でした

>  当時大変お世話になった小児科の医師が、今回の津波で亡くなったと聞いて凄いショックでした。

お悔やみ申し上げます
ショックでしょうね・・・何も言えない自分がはがやしいです・・・

>  痛みは……痛いのはイヤなんだけど、痛みを感じないのは怖いです。トンチンカンな話になりますが、私の左下奥歯の周辺の歯茎は痛覚が有りません。歯科でレントゲン撮影したら根っこの骨も半分消えてました。原因は不明でミステリー……。歯と歯茎の間に3cmくらいの針をグサ~と刺し込まれたのですが全く
>  他には、昨年「低温火傷」をしてしまい大きな水疱ができました。後に皮が剥けてしまったのですが、普通の火傷ならヒリヒリと痛いのに全然痛くないんです。医師は「神経が死んでる」とサラッと言ってくれちゃいました。v-12(現在は回復してます)

人体の、いえ、マイマイ様のミステリーですね・・・・・・しかし、神経が死んでるって言われる方はドッキリ、ビックリですよね

高校生の頃、低温火傷して外科に通いましたが不思議と痛みはなかったです
医者は「火傷の深度が深いせい」と言ってましたが・・・・・・今でも痕が残ってます

なんだか、マイマイ様と同じような経験があって不思議な縁を感じます

>  グタグタ書いてしまいましたが、痛いのが当たり前なのに痛くないのは気持ちが悪いし、怖いです。痛いのはイヤなんだけど、痛い方がマシだと思います。そう思うのは痛みが生きている証拠だからなのでしょうか? Mじゃないですよン。

身体の痛みもそうですが心の痛みも、存在しなければ受ける事ができない事として捕らえてます

>  なんだか難しいことを書いてしましたね。

私もつい、難しく書いちゃいました! 

>  今回の震災で生かされた理由は? なーんて難しいことは判りませんが、何かをする人ばかりでなくて傍観者もアリなんじゃないかなぁと思うコトにしました。

意味があるのか、無いのか・・・・・・そんな神様みたいことは分かりませんが、マイマイ様のトン&ピが見れないと私は絶対に寂しすぎます!!!

トン&ピへの萌える情熱で気分転換しつつ、早く穏やかな日が迎えられるようにと思っています

マイマイ様、無理しないで下さいね

私もそうでした!

またコメしてしまいます。

>私の話ですが・・・私が生まれた時って母の持病もあり時間が掛かりすぎて「おぎゃーー」と泣けずに生まれたそうです
いわゆる仮死状態なんですが、生んだ直後に気絶してた母が「パンパン」という音で目が覚め、見れば・・・・・・足をつかまれ逆さにされてお尻を叩かれてた私がいたそうです(笑)

 奇遇でしょうか? 私もそうだったそうです。母が虚弱体質で妊娠中毒症で悪阻が酷くて、6ヶ月くらい目からずっと入院してたそうです。
 予定日より半月くらい早く生れた私は2600gと小さめで、臍の緒が首にグルグル巻きついていて仮死状態だったそうです。後はすー様と同じで足を掴んで逆さ吊りにされてお尻をパンパンと叩かれてようやくオギャーと泣いたのだとか。

 小さい頃の私も虚弱体質で、喘息を患ったり、風邪を引きやすく、何かとよく発熱する子供でした。幼稚園も行ったり休んだりの繰り返しで、おかげであんまり思い出とか無いんですよねー。
 当時大変お世話になった小児科の医師が、今回の津波で亡くなったと聞いて凄いショックでした。

 痛みは……痛いのはイヤなんだけど、痛みを感じないのは怖いです。トンチンカンな話になりますが、私の左下奥歯の周辺の歯茎は痛覚が有りません。歯科でレントゲン撮影したら根っこの骨も半分消えてました。原因は不明でミステリー……。歯と歯茎の間に3cmくらいの針をグサ~と刺し込まれたのですが全く
 他には、昨年「低温火傷」をしてしまい大きな水疱ができました。後に皮が剥けてしまったのですが、普通の火傷ならヒリヒリと痛いのに全然痛くないんです。医師は「神経が死んでる」とサラッと言ってくれちゃいました。v-12(現在は回復してます)
 グタグタ書いてしまいましたが、痛いのが当たり前なのに痛くないのは気持ちが悪いし、怖いです。痛いのはイヤなんだけど、痛い方がマシだと思います。そう思うのは痛みが生きている証拠だからなのでしょうか? Mじゃないですよン。

 なんだか難しいことを書いてしましたね。
 今回の震災で生かされた理由は? なーんて難しいことは判りませんが、何かをする人ばかりでなくて傍観者もアリなんじゃないかなぁと思うコトにしました。

☆マイマイ様へ☆

マイマイ様、こんにちわ

>  私がどんな報道がされていたか知りたいと言ったことで、わざわざ記事を載せていただいて、嫌な記憶を思い出させてしまい申し訳ないやら、ありがたいやらです。

申し訳ないなんて思わないで下さい。
私も自分の記録用にと思いかえしてました・・・・・・お役に立てたようで良かったです!

>  TVの方、相当惨い有様も放送されていたのですね。お子様のご様子は大丈夫ですか?

どういう状況なのかと、テレビは見たいですが子供が私から放れないため一緒に寝てました
ある程度しか見せてないため夜泣きはしましたが、2、3日でそれも終わりホッとしました
やはり、テレビからの緊迫した「何かが違う」という感じは子供は敏感ですね・・・・・・

地震に津波に火事・・・・・・よくマイマイ様は乗り越えてこられたなと(その瞬間、1日1日のことですが)、うまく言えませんが・・・・・・御無事でよかった・・・

>  ありのまま報道することには当然賛否両論イロイロな意見がありますが、私は「何が起きていたのかを、どんなに惨くてもありのままに見たい知りたい派」なので、報道直後に放送された規制のかかっていない映像が観たかったですね。でなければ後世に伝えることも出来ないかも知れない。

そうですね、私個人はありのままを見て、伝えてほしいとは思いますが・・・・・・
パッと映った瞬間に5歳の息子が見たら・・・と思うと難しいなと思います

時間帯(夜~深夜)などに時間帯を分けて事前に「ありのままの映像」と断ってくれたら此方もうまく対処できると思いますが・・・

>  規制といえば、コレも報道規制の一つなのでしょうか。当時運行していた列車で連絡の取れない物が二件あり、そのうちの一つは仙台直通の「気仙沼線」でした。この時間は「松岩駅」と「最知駅」の間で、そこは正しく津波が直撃した場所でした。当初「行方不明」との報道でしたが、その後は沈黙しています。線路は数百メートル内陸に流されていました。でも車両は?車両はどうなったの? 乗員や乗客の安否は未だに語られないままです。

その列車かどうかは分かりませんが、ヘリからの映像で列車がくの字にひしゃげて、ひいてあった線路までもが流された・・・というのがありレポートでは最初、車掌さんなど5、6人の方が列車から出て歩いて駅まで行ったなどと聞きましたが乗客のことや、その後の事などはそれっきり何も聞けませんでした

その報道の時に私も「乗客はいないの? 脱出した方は無事に駅に着いたの?」と疑問のままでした

なんで「その後」を報道してくれないのかと不思議に思ってました・・・というか、尻切れトンボのような報道はやめてほしいなぁ・・・(私が見てないだけかもしれませんが・・・・・・)

>  当地方も一応津波対策や訓練は重ねて来たのですが、いわばソレが仇になってしまった部分がありました。
> 「いくら大津波でも、まさかここまでは来ないだろう」
>  という考えが、少し海から離れたトコの住民に根付いてしまったのです。だから、今回大津波警報が発令されても直近の人しか逃げなかったんです。
>  或る場所では、皆が車で避難したので道路は大渋滞し遂には車を乗り捨てて走って逃げて助かったという話を聞きました。しかし、父の実家や親戚が多く住む地区の人たちは、車で逃げるでも、走って逃げるでもなかったようです。地震後、ウチから見える道路は全く交通量が増えませんでした。高台に通じる幹線道路はココしかないのに!
>  そして多くの人たちが波に飲まれて流されてしまったのでした。

記事に書いた消防団の方たちのビデオでも最初のんびりムードで歩いてる方がほとんどでしたので、見てるこっちがテレビに向かって「早く、早く」と声を出してました

消防団の方たちの必死の声に、慌てて走り始めたように見受けられました

>  一ヶ月が経ち、気仙沼の人たちも歩き始めました。TVでは避難所で不自由な生活を送っている人たちばかりが放送されていますが復興も始まっています。被災した病院も移転して再開したり、事務所を無くした会社は貸事務所を借りて再出発し始めています。一時は店頭から消えていた鮮魚も並ぶようになりました。コンビニを始め、閉まっていたお店も徐々に再開し始めました。
>  まだまだ始まったばかりですが、きっと大丈夫だと思います。
>  でもやっぱり復興のネックは、陸に打ち上げられた「大型鮪漁船」ですかねーーー。

始めるという1歩が大事だと、つくづく思いました
気持ちの中でも「始めよう」と思うことで思考も行動も変わりますものね

でも、決して無理はしないでくださいね

私の話ですが・・・私が生まれた時って母の持病もあり時間が掛かりすぎて「おぎゃーー」と泣けずに生まれたそうです
いわゆる仮死状態なんですが、生んだ直後に気絶してた母が「パンパン」という音で目が覚め、見れば・・・・・・足をつかまれ逆さにされてお尻を叩かれてた私がいたそうです(笑)

でも、そのお蔭で「ふぇ・・・」と小さくではありますが息ができたのですから・・・・・・へたすりゃ今ここに居ませんもの、私!

小さい時からこういう事が多々ある私は「 喜びも幸せもそうだけど、痛みさえ生きてなきゃ感じられないんだ! 」と思いながら育ってきました

こんな事、今言うべきじゃないかもしれませんが、生きてる事が大事だと・・・・・・生きてるだけで丸儲け!です

疲れたときは無理しないでくださいね

すみません、いつまでたっても お返事書くの下手です・・・・・・・とほほ

判らないということは、恐怖にも繋がりました

すー様、こんにちは。
 私がどんな報道がされていたか知りたいと言ったことで、わざわざ記事を載せていただいて、嫌な記憶を思い出させてしまい申し訳ないやら、ありがたいやらです。

 TVの方、相当惨い有様も放送されていたのですね。お子様のご様子は大丈夫ですか?
 火事は夜の映像だったから町中が焼けているように見えただけで、実際は市内の一角でした。それでも広範囲には変わりないですけど。
 ウチからは7kmくらい離れていたし、山の向こうだったので大火は実際には見ていません。焦げた匂いと黒煙くらいです。
 それにしても、夜の火事って恐怖が増幅されますね。地元ラジオでも相当の範囲で燃えている様子が伺えましたが、地元民としては具体的に燃えている場所が判らなくて何処の心配をしたら良いのか分かりませんでした。そんな中で今回ラッキーだったのは、風が海へ向って吹いたことでしょう。逆だったらマジで市街地も焼けたかも……。

 ありのまま報道することには当然賛否両論イロイロな意見がありますが、私は「何が起きていたのかを、どんなに惨くてもありのままに見たい知りたい派」なので、報道直後に放送された規制のかかっていない映像が観たかったですね。でなければ後世に伝えることも出来ないかも知れない。
 規制といえば、コレも報道規制の一つなのでしょうか。当時運行していた列車で連絡の取れない物が二件あり、そのうちの一つは仙台直通の「気仙沼線」でした。この時間は「松岩駅」と「最知駅」の間で、そこは正しく津波が直撃した場所でした。当初「行方不明」との報道でしたが、その後は沈黙しています。線路は数百メートル内陸に流されていました。でも車両は?車両はどうなったの? 乗員や乗客の安否は未だに語られないままです。

 当地方も一応津波対策や訓練は重ねて来たのですが、いわばソレが仇になってしまった部分がありました。
「いくら大津波でも、まさかここまでは来ないだろう」
 という考えが、少し海から離れたトコの住民に根付いてしまったのです。だから、今回大津波警報が発令されても直近の人しか逃げなかったんです。
 或る場所では、皆が車で避難したので道路は大渋滞し遂には車を乗り捨てて走って逃げて助かったという話を聞きました。しかし、父の実家や親戚が多く住む地区の人たちは、車で逃げるでも、走って逃げるでもなかったようです。地震後、ウチから見える道路は全く交通量が増えませんでした。高台に通じる幹線道路はココしかないのに!
 そして多くの人たちが波に飲まれて流されてしまったのでした。

 一ヶ月が経ち、気仙沼の人たちも歩き始めました。TVでは避難所で不自由な生活を送っている人たちばかりが放送されていますが復興も始まっています。被災した病院も移転して再開したり、事務所を無くした会社は貸事務所を借りて再出発し始めています。一時は店頭から消えていた鮮魚も並ぶようになりました。コンビニを始め、閉まっていたお店も徐々に再開し始めました。
 まだまだ始まったばかりですが、きっと大丈夫だと思います。
 でもやっぱり復興のネックは、陸に打ち上げられた「大型鮪漁船」ですかねーーー。

☆げん様へ☆

こんにちわ

その時になったら・・・自分はどう行動すればいいのかと考えますね

連絡もライフラインも確保できない状況でのご苦労はマイマイ様の記事にて少し感じる事ができました

自然が相手の災害は、いつどこで・・・が分からないですものね

この震災を通して学べることを探します

何か、頓珍漢なお返事で申し訳ないです。。。

☆midorin様へ☆

こんにちわ

> その後、週末や自宅待機もあったので、かなりの被害映像を見ましたが、発生当日の報道が、一番むごかったと思います。
> けれど、あれは、生々しい被害にあわれた方たち(特に近い人を亡くした方たち)が、見るに耐えるものとは思えません。
>
> 事実を伝えて、二度と繰り返されないですむよう、人々の意見をまとめていくためには、報道が大切なことはわかりますが、実に難しい問題と思います。


すごく思いますね、報道する事=何もかも曝け出して電波にのっけることなのか・・・・・・私はそうは思いませんが、一刻も早く状況を見たいと思う人もいるのでしょうね

本当に気の利いた事も言えない私ですが、子供に見せるにはやはり・・・・・・酷すぎるものは受け付けられません

この記事のコメント欄を開放しますので記録でもいいので使ってください

便乗して…。

私もここへ。自分のブログを持っているのに、この欄をお借りしてすみません(汗) すーさん、このコメントには返信不要です…!

私は東京住まいで、11日のうちに徒歩で帰宅出来た組です。
外にいたので最初は大地震が起きたことと津波警報が発令されていることはわかっていても、実際の映像などはほとんど見ていないまま帰宅しました。

夜11時くらいからまともにテレビを見始めたのですが、一番ショックだったのは、自衛隊のカメラで撮影された、気仙沼の火災映像です。
地震や津波の映像はこれまでにも見たことがありましたが、街がほとんど火の海になっているのは初めて見たせいか、その映像でやっと事の重大さを認識しました(遅いですよね。汗)
その他にも、金曜から日曜は押し流されてきた家や船で建物が壊れる映像や、家や船があり、ところどころに火が燃えている黒い波が田んぼを埋め尽くしていく映像など、とても子供には見せられないような映像ばかりが流れて、気仙沼や陸前高田は壊滅状態だと言うことが伝えられていたことを覚えています。

日曜の夜からは計画停電の話題が多くなり、安否確認も増え、原発の映像ばかりが流れるようになりましたが、私はその前の数日間に流れた映像が一番恐ろしかったです。

No title

こんにちは!

この記事は、震災当初にどのような報道がなされたのか…被災地にいる当人が一番知らないことというマイマイ様に応えての記事ということですが、ライフラインが遮断され知りたい情報も一切入らない、自分のいるところが酷い状況になっていることはわかるが他のところもそうなのか…全く状況も分からない…
被災した場所にいない私たちにはとても想像すらできない壮絶な状態になっていたのだということが、よくわかりました

今回の一連の報道の中で一番心に残ったのは、気仙沼で偶然被災した芸人さんが、当初沢山流れた津波の悲惨な映像よりも避難所の人たちをあえてたくさん映すことで連絡をつけたくてもつけられない遠く離れた家族、友人、知人に無事を知らせることができるから、映してあげて欲しいと訴えていたことです
それに応えたのか、新聞でもそれぞれの避難所の方々のコメントが少し載るようになりました
NHKの教育テレビではしばらく個々の方々の安否確認メッセージが延々流されていました
テレビも震災対応に切り替わりましたが、新聞も震災対応に切り替わりテレビ欄、特に当初のNHKの欄は震災関連ニュースというだけであとは空欄になっていたことが記憶に残っています
首都圏では交通機関がマヒしたことで帰宅難民、駅にあるれる人垣の映像もよく目にしました
今回は被害範囲が広すぎて、報道機関もはじめはかなり混乱していたようでした。一番最初に伝えられた被害状況はほんとなのかと思うくらい小さなもので、それが時間が経つとともに実はとんでもないことになっているということが明らかになっていった…当初こんな感じだったと思います


この震災の津波の映像以外で記憶に新しいところでは、スマトラ沖の地震による津波の映像で、まさか日本でもあのような甚大な津波の被害に遭うとは思ってもいませんでした。地震大国で沿岸部に地震があれば津波警報が出されますが、今回のように想定外で想像を絶する津波について後々にしっかり伝えていかなければならないのですが、どのように伝えて行くのか…難しい課題ですね


震災の日の報道

こんなことを書いてよいのやら、なのですが...。

あの日、私は、神奈川の職場で地震を感じました。
ゆれとしては、ちょっと大きいな、程度だったのですが、
延々(2分半以上だったようです。ちなみに、関東大震災が1分40秒)続いたので、結構青くなっていました。
わりとすぐあとにまた大きなゆれ。当然、余震と思いました。

普通じゃないという判断がされ、すぐに応接のテレビがつけられました。
まず驚いたのは、震源地がここからは遠かったこと。
この遠さであのゆれ?
しかも、2度めは別の地震で余震じゃない?
一体、何がおこったのでしょう!

津波警報がすぐに出始めました。
帰ってよいと指示が出ましたが、交通機関が全てストップです。
私は、結果から言えば、帰れない組数人と、そのまま一緒に、夜中までテレビを見ていました。

ただごとではないと実感したのは、民放チャンネンルなのに、CMが全く入らないと気づいたときでした。
地震から1時間後ぐらいには、マグニチュードが8(最終的には9になりましたが)
を越えたと報道されました。
この数字は、新潟中越地震より大きいので、一体どのくらいの被害があったのかと、暗澹たる気持ちになっていたところへ、津波の警報がどんどん大きくなっていきました。一部の地域では到達したもよう、とも伝えられ始めました。
個人的には、津波がくるまで結構時間はあると思っていたので、早いのにも驚きました。

夕刻から、津波映像が流れはじめましたが、今までみたことのない壮絶なものでした。どうやら、翌日には報道を控えたようですが、直後の映像はチェックもなかったためか、「もしかして人の影?」や、走っている車が濁流に捕まえられそうになっていく様(当然、人が乗っていたはず)が画面に映し出されました。(インターネットで世界に流れた映像は、こういうものだったと後で聞きました。)

現実の映像を見ている、とは、とても信じられませんでした!

地震が多く、数々の津波被害を経験している日本で、ここまで無防備(そう見えてしまいました。実際には、それぞれいろいろな対策を立てており、機能もしていたと後で知りました。ただ、あまりにも、津波が大きく、想定をはるかに越えてしまったのだと。)に災害にやられてしまうとは、現実のこととは思えませんでした。

夜には、連絡がつかないj自治体がいくつもあること、乗務員と連絡が取れない電車がいくつかあること、日本列島全て津波警報の赤とオレンジで囲まれていること、などなどが報じられていました。
東京や千葉でも死者が出たことも知りました。

その他、首都圏の停電情報や交通情報等見ているうちに夜中となっていました。いつ、十数時間たったのかわかりませんでした。

その後、週末や自宅待機もあったので、かなりの被害映像を見ましたが、発生当日の報道が、一番むごかったと思います。
けれど、あれは、生々しい被害にあわれた方たち(特に近い人を亡くした方たち)が、見るに耐えるものとは思えません。

事実を伝えて、二度と繰り返されないですむよう、人々の意見をまとめていくためには、報道が大切なことはわかりますが、実に難しい問題と思います。






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すー※さん

Author:すー※さん
私的妄想世界が広がっております。
イチオシは窪田正孝さんの役柄いろいろ妄想話です♡(その他にも相棒の神戸さん、スネイプ先生や善徳女王など色々でございます)

最近は更新ができてませんが、発作的に投下してます。
8月、9月の試験に受かれば時間ができるので、それまでは見守っていて下さいませ。

合言葉は『シリアスからエロまで』・・・・・楽しんでいただければ幸いです。。。

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